株式会社モンテディオ山形の社長解任に寄せて

株式会社モンテディオ山形の高橋社長が解任されて二週間が経ちました。解任された経緯と事情をわたしなりにまとめてみて、さて、次の疑問に答えようと思います。

モンテディオ山形を、わたしは応援するべきなのだろうか。

高橋社長の解任を知ったとき、はじめは驚きがありました。「え、本当に解任されちゃったの?もう社長じゃなくなっちゃったの?」と。あまりにたやすく決定されてしまったので、「へーそうなんだ」と、事実をすんなりと受け取ることはできませんでした。そして、いったいどうしてこんなことになってしまったのかと、不安になりながらも事の経過を知ろうとして読んだのがweb情報マガジン「Dio-maga」に掲載された細谷理事長の答弁でした。細谷理事長は株式会社モンテディオ山形の株主でもあり、山形県の副知事でもあり、そして高橋社長に辞任を要請した人物でもあります。

細谷理事長の答弁を読んだら、驚きは悲しみに変わりました。悔しさも混ざっていたと思います。株主として、副知事として、モンテディオ山形に関わるひとりの人として、わたしの目にはお粗末としか言いようのない答弁に映りました。こんなにも軽薄な口が、高橋社長に辞任を言い渡したのかと思うと、胸が震える思いがしました。涙はあふれる前に、怒りに変わりました。怒りを言葉にしようとすると、涙があふれそうになりました。涙は流れないまま、怒りと悔しさの間でいまも喉元につまっています。

理事長がこの人物でいいはずがない。株主が、副知事が、この人物でいいはずがない。

そう強く思ったとき、同時に生まれてしまったのが「モンテディオ山形をわたしはこのまま応援するべきなのだろうか」という疑問です。

今までと同じようにモンテディオ山形を応援したならば、わたしはこの人事に納得しているサポーターと見なされるのだろうか。今までと同じようにモンテディオ山形を応援したならば、わたしは細谷理事長をも応援していることになってしまうのだろうか。今までと同じようにモンテディオ山形を応援したならば、わたしはまた同じような人事が繰り返されることを容認していることになってしまうのだろうか。
そうではないことの意思表示をするためには、応援をしない、という選択肢が必要ではないのか、と。

インターネット上で「シーズンチケットを買わない」「買うかどうか様子を見てから決める」というサポーターの投稿を見かけます。一方で「社長の解任とチームの応援は別、自分は買う。」というサポーターの声もあります。

わたしはどうありたいのか。どうしたいのか。

もし、モンテディオ山形にどうなってほしいのかと問われたら、わたしは「強くなってほしい」とまず答えます。今回の人事で細谷理事長に対する憤りが強く先行してしまって、本来はそこから考えなければいけなかったのを、忘れていたように思います。わたしは「モンテディオ山形に強くなってほしい」。
強くなるためには当然「社長の経営手腕」はひとつの重要な要素です。しかし今回のような人事ではその要素が軽視されていると思わざるを得ませんし、モンテディオ山形を強くしたいと心から願っている人物の判断だとも到底思えません。だからその判断を下した人物をまず辞めさせたい。と、ここまでは考え方として間違っていないと思うのですが、では辞めさせてどうするのか、ということになると、わたしには案がありません。たとえば、次期の理事長に誰とは言えないまでも、どういう人物を求めるのか。元県庁職員でいいのか。県庁職員がよくないと思うのなら、どこからどういう人物を連れてきてほしいのか。そうなった場合、県とは完全に縁を切る形でいいのか。あるいは県ともつながりを維持するべきだと考えるのか、社長には誰がいいのか?組織の構図は?株主は?
これらのことに対する自分の案を、わたしは持っていません。念のために書きますが、わたしに案があったところで、それを採用してほしいと思うものではもちろんありません。いちサポーターとして、自分の意見を持つということは大切なことだと思うのです。けれどそのためにはまだまだ知らないことがたくさんありますし、見識もせまい。

でも本当に考えるべきことは、今の組織のあり方をどうやって壊すかではなく、次の組織のあり方を考えることだと思ったのです。次に作りたいものがわからないまま壊してしまったら、残るのは壊れたものだけなんじゃないかって。

だから株式会社モンテディオ山形の今の組織図がよくないと思うのなら、よいと思う案を自分たちで考えないといけない。よいと思う案ができたなら、それに賛同してくれる人を集めないといけない。その案に賛同してくれる人を集めるためには、モンテディオ山形のファンを増やさないといけない。そして、モンテディオ山形のファンを増やそうと思うのならば、なによりもまず自分がモンテディオ山形の大ファンでなければならない。モンテディオ山形を応援することが、こんなにも楽しいのだということをひとりでも多くの人に示すことができなければいけない。そう思うのです。

だから応援します。今年よりも、精一杯。この答えにたどり着くのに二週間もかかったなんて、ばかみたい。

モンテディオ山形が政治の道具ではなく、県民・サポーターの宝だと信じるのならば、応援をしない理由などどこにもありません。モンテディオ山形があの人たちのものでないなら、モンテディオ山形にとってよくないことがあったとき、モンテディオ山形から手を退くのはあの人たちであって、わたしたちではない。わたしたちであってはいけない。


わたしたちは、いいときも悪いときも、ともにいる。


心は決まりました。来シーズンもめいっぱい、応援します。